“現役”とは、別に仕事においての意味だけではない。
公私において、カッコよく人生の主役を張れているかどうか…みたいな感覚のことだ。
正直に言って、45歳にしては俺は、かなり頑張れているほうだと思う。
週3のジム通いで、テニス部だった大学生の頃から体形はほとんど変わっていない。身長はもともと高いし、髪も多い。
仕事柄、世の中の流行にも詳しいし、ファッションだって、ブルネロクチネリやロロ・ピアーナをうまく着こなせている自信がある。
周囲からは「玉木宏に似てる」と言われることが多いから、自分で言うのもなんだけれど、世間的には“イケオジ”というやつに分類されるはずだ。
だけど…ここのところ、どうにもこうにも、ある種の感覚に欠けるのだ。
何かに燃えるような、熱い、情熱みたいな気持ち…。
仕事はすっかりプレイヤーの域を超えてしまった。部下の評価や育成もやりがいはあるけれど、さっきの加川との会話のようになる時には、言いようのない虚しさに襲われてしまう。
恋愛の面でも、定期的にデートする機会は、ある。
「バツイチ」であることは、マイナスになるどころか武器になるというのは、きっと45歳ならではの現象だろう。
一度は結婚していた、という過去は意外にも、女性に安心感を与えるらしい。デートの相手は同年代なこともあれば、若い女性の場合も少なくない。
それなのに。
「はい、お客さんつきましたよ」
タクシーが到着した先は、フレンチビストロの名店『マルディグラ』。
肉が美味いことで知られているこの店だが、俺にとっては20年近く通っている馴染みの店だ。若い頃に上司に連れられてきて、あまりに美味い肉料理に感動し、以来行きつけになった。
今日は、最近仕事面で少し焦りが見える様子の加川と、たまには腰を据えてメシでも食うかと密かに予約していたのだが…結局は1人で訪れることにした。
「いい店の予約、空きが出ちゃって」と声を掛ければ、ついてきてくれる女性のひとりやふたり、心当たりがないわけではない。
それなのに1人で来ることを最終的に選択したのは、ちょっといいレストランにひとりで入店するのが落ち着かないような歳でもないから。
それに何より、女性を誘うことを少し面倒に感じているせいだ。
― なんていうか、いまさら自分のペースを誰かに乱されたくないのかもしれないな。この歳になると。
そんなことを考えながら、しっくりと体に馴染むカウンター席に腰をおろす。
基本的に外食が多い生活を送っているが、最近はこの店みたいに、若い頃夢中になった店に原点回帰しがちになっている。
無意識のうちに、ズレを感じることのない安全地帯で過ごすことを求めているのかもしれない。
いや。反対に、まがうことなき“現役”でいた過去の栄光に縋っているのだろうか?
1人が気楽だ。
そう自分で決めたはずなのに、いざ1人でビールを飲んでいると、どうにも勝手にいろいろなことが思い出されてしまうことが煩わしかった。
― あーあ、加川のやつ。せっかく美味い肉食わせてやろうと思ったのに。
そんなことを思いながら、俺は自然と加川と昔の俺を重ね合わせる。
― 上司の誘いよりもデートか。まあ、よく考えればそりゃそうだよな。俺だって似たようなものだったか。
落ち着いてみれば、仕事よりもデートを優先することは俺にもある。特に20~30代の頃は、かなり激しく色んな女の子たちと遊んだものだ。加川の今回の選択だって、特段嘆くようなことじゃない。
さらに言えば、俺が32歳のころには既婚者だったのだから、加川よりもタチが悪い。
― そういえば、この店は美玖子ともよく通ったよな。
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