笑っていたはずなのに。いつのまにか泣いていた。何、何、止まってよと、ともみは慌てた。けれど一度溢れた涙は止まらず、涙に引きずられるように、押さえつけていたはずの悲しみがこみ上げてくる。
― 泣くな。ダメ。これ以上は、本当にイヤだ。
カウチソファーの背にもたれ慌てて上を向く。大丈夫、上を向いて、こすらずにいれば、目が腫れることを最小限に防げるはずだ。
芝居の稽古で教わった知識がまたも活きるなんて。そんなことを思いながら、ともみはそっとブランケットをかぶった。
前日の深夜・営業の終了したBAR・Sneetで
店長のミチが、営業終了後ゴミを捨てに出ると、男の怒鳴り声が聞こえた。そちらを見ると、泥酔した男性が女性の腕をつかんでいて、女性が嫌がっているように見えたので、ミチが仲裁に入った。
ミチは190cmを超える長身マッチョ、さらに目の下の傷があり、格闘家と見まがうほどいかつい。そんなミチに恐れをなしたのか、男性は逃げるように去り、置き去りにされた女性が座りこんで泣き出してしまった。
ミチは、タクシーを捕まえましょうかと聞いたけれど、女性はただ泣くばかり。ならば一旦落ち着くまでと、女性をBAR・Sneetにつれてきたのだが。
「…どうぞ」
「…すみません」
とりあえず水を出し、しばらくすると落ち着いてきたようで、女性は迷惑をおかけしましたとミチに詫びた。
「迷惑とかじゃないですけど…その、大丈夫ですか?」
ミチは口下手だ。しかも泣いている女性がすこぶる苦手で、涙を拭くようにとナプキンを手渡したものの、それで女性はなおさら泣いてしまった。
どうするべきか思案している間に、女性が小さな声でもう一度すみません、と言った。
「この辺りにお住まいですか?」
聞いてからミチはしまったと思った。もし遠いならタクシーを手配しようという心配による質問だったが、女性に住まいを聞けば怖がられてしまうかもしれない。
だが女性は気にした様子はなく、住まいは白金です、と言った後、名刺を取り出し、ミチに差し出した。
水原桃子。会社の住所は表参道で、アシスタントデザイナーと書いてあった。
「オレは、ミチです。一応この店の店長やってます。さっきの男、彼氏さんにしては、だいぶヤバかったですけど、大丈夫ですか?」
ミチの言葉に、桃子がまた泣き出してしまった。
「も、もう、彼氏じゃないです…!し、信じてたのに…あの人に騙されてたんです。でも何もかもが私のせいにされて、脅されて…っつ、もうどうしたらいいのか」
オーマイゴット。きっとこの話はオレでは力不足だ。そう思ったミチは、堰を切ったように止まらなくなった桃子の涙と話が落ち着くのを待って、TOUGH COOKIESのショップカードを差し出した。
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