「あったー」
恵奈が使っていたクローゼットはそのまま。
女の影でもあるのではないかと少し勘ぐったが、そんな様子はない。ただ、家の中は若干散らかっている。
荷物を整理していると、小さな箱が出てきた。
「懐かしい…」
中には、初めて旭とデートした時の写真と、結婚式の写真、その時につけていたSanta Maria Novella「カプリフォーリオ」のオーデコロンが入っていた。
初めに買ったのはイタリア出張の帰りの空港。爽やかなレモンやジャスミンの香りから、徐々に現れる女性らしいエレガントな香りに惹かれ購入した。その後結婚式の前にも買い替え、これは去年友人に、イタリア土産としてもらったもの。
恵奈は思わず手に取り、シュッと一吹きする。
香りを嗅いだ瞬間、当時の気持ちが鮮明に蘇ってきた。
恵奈が覚えている限り、この香水をつけたのは3回。
1回目は大事なプレゼンの日で、旭に初めて声をかけてもらった日でもある。
旭は新卒で入った会社の先輩で、背が高くて見た目がタイプ、その上仕事もできて密かに憧れていた。
でも長年付き合っている彼女がいると聞き、叶わぬ恋だと諦めていた。
だが、自分が初めてリードするプロジェクトのプレゼンがあり、旭の方から声をかけてアドバイスをくれたのをきっかけに、徐々に仲良くなった。
当時すでに彼女とは別れていたことを知り、一気に距離が縮まったのだ。
2回目は初デートの日。恵奈は、大人になっても心が躍るような恋ができたことが嬉しかった。
3回目が結婚式の日。大好きな人との結婚に、この日を生涯忘れたくないと香水をつけた。
恵奈にとって、人生で一番幸福に包まれた日。
それらの感情が一気に押し寄せ、気がつくと、涙が頬をつたっていた。
「旭のことが大好きだったのに。どうしてこんなことになっちゃったんだろう…」
しばらくぼーっと1人、恵奈はこれまでのことを思い巡らせた。
空が薄暗くなった頃、荷物をまとめ玄関へと向かう。その際、何気なくキッチンを見た。
リビングには物が散乱しているのに、キッチンだけキレイなまま、調味料も減っておらず、使っている様子がない。
冷蔵庫を開けてみると、水と炭酸水、あとはビールが2本だけ。
「飲み物ばかりじゃない…」
恵奈は急に胸が痛んだ。
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