「1つだけ」じゃ満足できない。強欲な女が辿り着いた、自分らしい生き方とは

日本での暗黒時代


直美は東京の目黒で生まれたが、父親の仕事の都合で幼少期は米国を中心に海外を転々としていた。小学6年生の時に日本に帰国し、帰国子女枠で都内の私立中学に入学した。

「それまでは、海外で空手や和太鼓を習っている友達もいたし、日本文化ってカッコイイっていうイメージがあったので、日本に帰国するのは楽しみでした。でも、日本に帰ったらカルチャーショックを受けました」

彼女は、それまで身振り手振り大きくしていた手を急に止め、深呼吸をしてから話し始めた。

「一言で言えば、日本の女子文化に馴染めなかったと言うのでしょうか。一見仲よさそうに見える仲間意識とか、みんなと同じじゃないと悪口を言われるみたいな。小さな組織でお互いバカみたいにマウンティングし合っていますよね」

自分の意見をはっきり言う彼女は、クラスのリーダー格女子の目に留まり噂話の標的となった。英語訛りの話し方を真似されることもあり、だんだん話すこともバカらしくなったため、中学時代の後半は、ひっそりと極力目立たないように生活していた。

そんなことがあり、高校は絶対に海外に行きたいと思ったのも、当然の成り行きだろう。

中学だけは何とか卒業し、両親に頼み込んでカリフォルニアの高校に進学した。

日本人女性に「やっと勝った」と思えるまで

直美は、寮生活をしながらアメリカの高校を卒業。大学で会計学を専攻後、大学院まで進学しMBAを取得。その後、監査法人で実務経験を積みながら米国公認会計士の資格を取得した。

あれ程避けていた日本人だったが、“英語が話せる日本人”として重宝されるため、気がつくと海外進出している日本企業と仕事をする機会が増えていった。

「このキャリアを手にして、やっと中学時代の自分が報われた気持ちになりましたね。努力してキャリアを積んだという自信もあったし、日本人女性から憧れられることもあったので“やっと勝った”と、そう思えました」

そして、ちょうどその頃、今のご主人と出会い結婚した。エリートの夫に華やかなキャリアという“揺るぎない幸せ”を手に入れたつもり、だった…。

しかし、そんな優越感を味わいながら生活していたのも束の間、予想していなかった出来事が彼女を襲った。

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