赤坂の夜は更けて Vol.1

赤坂の夜は更けて:俺はもう、おじさんなのか?41歳男が溺れた、ひと回り下の彼女

井上さんは、ハナと同じテレビ局に勤めるプロデューサーだ。今はドキュメンタリー番組を作っていて、毎日とても忙しそうにしている。

部屋に着くなり、井上さんは洗濯物を取り込んだ。

この人はどんなに忙しくても、洗濯だけはいつもマメだ。洗面台や化粧室にかかっているタオルはふんわりと太陽の香りがする清潔なもので、健やかな日常を大切にする井上さんを思うと、温かな気持ちになる。

洗濯物を取りこんだ後はケトルでお湯を沸かし、ぽってりした形の藍色のポットでほうじ茶を淹れてくれた。お茶の香ばしい匂いが、部屋いっぱいに立ちこめる。


熱いお茶をごくごくと飲み干したら、すっかり体が温まった。部屋には小さくボリュームを絞ったビリー・ジョエルが流れている。さっきまでは我先にと話していた2人の間に流れる、静寂の時間。

一日の終わりの大好きなひとときを、ハナはたっぷりと味わう。

「じゃあ帰るね」

そう言ってソファから立つと井上さんはかすかな失望の色をにじませたが、気づかないフリをしてそそくさと廊下を歩く。

井上さんは、「泊まって行けばいいのに」などとは、絶対言わない。その気持ちをありがたく思いながら、親友の葵に言わせると「利用して」、いつも自分の家がある代々木公園まで、タクシーで帰る。

赤坂のタワーマンションを出ると、時刻はもう26時を回っていた。

「明日は、晴れるかな」

春風が吹く曇天の暗い空を見上げながら、さっき聞いたセリフと全く同じ言葉を発っしていることに、ハナは気づかなかった。



井上さんとの出会いは、社内での打ち合わせだった。ハナは当時広報室にいて、井上さんの作った番組の宣伝を担当していた。

プロデューサーとの打ち合わせは、だらだらと長くなることが多い。だから5分で済むような内容でも、1時間くらいかかるつもりで臨むのだ。

しかし、この日は少し違った。時間ぴったりに会議室に入ってきた井上さんは無表情でにこりともせず、淡々と打ち合わせを始めた。

1時間予定していた打ち合わせは15分ほどで終わり、業務以外のことは一切話さずその場を離れた。

その後、再会したのは『もりかわ』の前だった。

仕事に煮詰まっていたハナが、気分転換に赤坂見附のスタバまで散歩していると、明らかに接待終わりの井上さんがちょうど店から出てきたのだ。

打ち合わせから少し日にちがあいたので、井上さんは自分のことを覚えているだろうかと不安になったが、目が合ったため、ハナは笑顔を作って会釈した。

―あのときのハナの困ったような笑顔を見て、好きになっちゃったんだ。

そのストレートな物言いに、ハナはしばし困惑する。

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