五反田ラバー Vol.1

五反田ラバー:恵比寿とか普通すぎ。『おにやんま』へ導かれ、五反田引越しを決意した男

「五反田って穴場だよ。ちょっと前まで住んでたんだけど、家賃は安いし食べログ3.5以上の店も実は多い。恵比寿なんて自転車があればすぐだし。なんとなく、健太くんには合ってると思うんだよなぁ」

言われた当時は「そうすかねぇ」と軽く受け流した言葉だ。

五反田はいつも山手線で恵比寿と会社のある新橋を往復する際に通過する駅。何か用事があって1年に1回行くくらいだ。それくらい馴染みのない街だった。

そんなある日、仕事で五反田へ行く機会があった。冬の寒い日だ。この頃の健太は、仕事でのミスが重なり、かなり落ち込んでいた。雑誌に掲載した電話番号や衣装クレジットの間違い、タレントへの失礼な対応、それに加えて連日の激務……。

心も体も消耗しきっていた。「自分には編集者は向いてないんだ」と何度も考えるようになっていた時だ。

クライアントとの打ち合わせを終えて雑談をしていると『おにやんま』を教えられた。

「五反田の高架下のような所で、昭和感たっぷりの小さな建物でやってる立ち食いうどんなんですけど、絶品ですよ。深夜でも行列ができるんですから」

そう教えられ、話しのネタになるならと帰りに寄ってみたが、先に食券を買って道路沿いに並ぶというシステムに最初は戸惑った。


一杯のうどんに救われた夜


店内は10人程でいっぱいになるコの字型のカウンターがあるのみ。中に入ると、ものの10秒程でうどんが出された。健太が頼んだのは鶏天うどんだった。

つゆを一口啜ると「美味い」と勝手に言葉が漏れた。疲弊していた心を、柔らかいうどんと温かいつゆが、じんわりと温めてくれるように感じた。こんなにうどんを美味しいと思った事はなかった。

気付けば、一粒の涙が頬をつたった。もう少しだけ頑張ろうと思えた。今となっては笑い話だが、一杯のうどんに励まされたのだ。

それ以来、五反田へ来る事が増えた。もちろん『おにやんま』のうどんを食べるためだ。週に何度も訪れるようになり、『おにやんま』以外の五反田の店にも興味が出てきた。

朝でも昼でも夜でも夜中でも、思い立った時に『おにやんま』のうどんが食べたい。

その思いに突き動かされるように五反田への引っ越しを決めた。誰に言っても笑われるが、健太は本気でそう思ったのだ。

人生、朝露の如し。当時の健太には、迷う必要なんてなかった。

東京恋愛市場での、返り咲きを狙う男


五反田に住んで5年。この間、健太の身には様々な事出来事が起こった。ヒカリとは去年別れた。9年も付き合って、30歳を前に別れてしまった。今、ヒカリがどんな毎日を送っているのか、健太の知る所ではない。元気でいてくれればいいなと願うばかりだ。

最近になってようやく、新しい恋愛へ向かう気力が湧いてきた。明日は、最近知り合った女の子とのデートが控えている。相手は北海道出身の素朴な女の子。彼女を五反田のとっておきの店へ連れて行く予定だ。

だが、20代のほとんどの時間を、恋愛戦線から離脱していた健太にとって、もはや新たな相手とのデートで何から始めればいいのか分からなくなっていた。

―あれ、恋愛初期ってどんな感じ……?

編集者としてこなれた雰囲気を醸し出す健太だが、安定した恋愛に胡坐をかいていたため女性との駆け引きはほぼ未経験。勝率を上げるため、デートは常にホームである五反田開催。理想の相手は『おにやんま』のうどんを美味しいと言って食べてくれる子だ。

立ち食いで独特の雰囲気を醸し出すあの店を好きと言ってくれる子が、いつしか健太の理想のタイプとなったのだ。

ややこじらせ気味な健太の、30歳を目前にした恋愛奮闘記@五反田は、こうして幕を開けたのだった。

次回12月24日(土)配信予定
久しぶりのデート、健太が連れて行った五反田のとっておきの店とは?!

※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。

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