SPECIAL TALK Vol.20

~大切なのは起業における仲間の存在。それが何よりのモチベーションになる~

2020年のニューリーダーたちに告ぐ

「豊かな食生活を、できるだけ多くの人に」という企業理念を掲げ、2000年に創業したオイシックス株式会社。野菜や果物など安全で美味しい食材の宅配事業で、働く女性や小さな子どもを持つ家庭から熱い支持を得ている。現在、約1,000軒の生産者とコネクションを持ち、利用者は実に140万人を数える。

インターネットで生鮮食品を購入するという新たなライフスタイルを日本に定着させたのは、オイシックスを率いる髙島宏平社長。そのサクセスストーリーには、大切な仲間の存在があった。

次世代のリーダーたちに贈る、成功するためのヒントとは?

髙島宏平氏 オイシックス株式会社 代表取締役社長

1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修了後、外資系経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に入社。2000年6月、「豊かな食生活を、できるだけ多くの人に」を企業理念とするオイシックス株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。

金丸:本日はお越しいただきありがとうございます。

髙島:こちらこそ、お招きいただき光栄です。六本木ヒルズの52階に、こんな素敵なレストランがあるとは知りませんでした。

金丸:今日は東京を一望できる『THE SUN & THE MOON』で、現代フレンチを味わいながら、お話を聞かせていただきます。

髙島:何卒お手やわらかに(笑)。

金丸:最近はテレビでもよくお見かけしますね。

髙島:たまにお声がけいただいていて、日曜の朝7時半からやっている報道番組に出させてもらっています。

金丸:髙島社長は、いまや次世代の日本を背負って立つ若手経営者といっても過言ではありません。その原点を探っていきたいと思います。

転校を繰り返した少年時代。培われた新しい環境への適応力

金丸:まず子どもの頃についてお聞かせください。ご出身はどちらですか?

髙島:横浜です。父がNTTの前身の日本電信電話公社に勤めていて、いわゆる転勤族だったので、2、3歳ぐらいまでは横浜にいて、それから大阪の高槻市に引っ越しました。

金丸:私は関西出身なのですが、大阪には何年ほどいらしたのですか?

髙島:3年ほどいました。ただ、正直あまりいい思い出がなくて……。幼稚園の先生が話している関西弁がさっぱりわからず、そのせいでやたらと怒られていまして(笑)。幼いながら、自分はすごく出来の悪い子なんだと思っていました。

金丸:関西弁は早口だし、語気も強いですからね(笑)。先生も悪気はなかったんだと思います。

髙島:その後横浜に戻って、小学3年生のとき東京に引っ越し、6年生の途中から仙台、中学受験の直前で横浜に戻りました。幼稚園は2回、小学校は3回変わりました。

金丸:それだけ転校が多いと、学校に馴染むのも大変そうですね。

髙島:大変でしたね。いつも〝転校生〞という立場だったので、いじめられていました。自分でいうのもなんですが、わりと成績が良かったので、それがまた気に入らなかったみたいで……。放課後、羽交い絞めにされて、ウサギ小屋に閉じ込められたこともあります。それも何度も。

金丸:結構、残酷ですね……。つらいと思ったことは、なかったのですか?

髙島:それが、つらいと思う感覚が人より鈍かったようで、そんなに悲観していませんでした。「転校生だし、まぁ、しょうがないか」って。自分の置かれた状況を客観視しているところがありましたね。

金丸:小学生ながら達観していますね。

髙島:それに転校を繰り返すうちに、どうすればいじめられないかというノウハウがわかってきたんです。たとえば初日の印象がすごく大事だとか、その場の雰囲気に合わせて、キャラ設定を変えた方がうまくいくとか。次第に転校上手になっていきました。おかげさまで、今では人見知りはまったくしません(笑)。

金丸:小学生で処世術を学んでいったのですね。

髙島:中学生のときは、この適応力がすごく役に立ちました。横浜の聖光学院という中高一貫の男子校に進学したんですけど、新しい学校、周りが知らない人ばかりという環境は、私にとってなんの抵抗もありません。でも他の子たちは違います。幼稚園から小学校までずっと地元の学校だったりすると、こういう経験は初めてで、まったく慣れていないんです。だから中学校では、いじめられっ子から一転、リーダーシップをとるようになっていきました。

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