香港ガールの野望 Vol.1

香港ガールの野望:シンデレラ・ガールはこうして作られる

永遠に続くかと思われた検疫・入国審査も無事突破すると、おなじみの荷物受け取り場へと出た。点滅する「香港CX517」のスクリーンを囲んでベルトコンベアの上を回り続ける大小の荷物は、どことなく回転寿司を連想させる。彼女の心はしかし目前のスーツケースではなく、すでに遥か彼方に光る東京タワーのダイアモンドヴェールへと飛んでいた。

目の前の税関をくぐり抜ければ、そこは待ちわびた東京の地。そう、この空港から一歩外に踏み出せば、私はもう、「マギー」ではなくなる…

「あっ」

目の前を歩いていた香港マダムの大群が、急に左の方を指差し一斉に向きを変えたため、大量のDUTY FREEの袋に押しつぶされたマギーはバランスを取ろうとスーツケースをつかむ。足下を見下ろしたその瞬間、履き古されたナイキの靴が目に入り、ハッと我に返った。

色あせたジーンズに、無造作に羽織られた厚地のジャケット。髪は5時間前にオフィスで働いていたときとそっくりそのまま、いや、もっとボサボサの状態で束ねられている。

「…それに加えてこの運動靴ときては、始まるものも始まらないわね」

そうため息をつき踵を返したマギーは、御手洗いへと向かう途中、一目で香港人と分かる学生らしき女子グループに遭遇した。平たい顔に、どう見ても不釣り合いなほど明るく染めてある髪。

その姿に、ふと昔の記憶が蘇る。

そう、あれはもう10年も前の話。まだもっとずっと幼かった彼女が、繰り返し考えたこと。

「シンデレラが王子様のハートを射止めたのは、なぜ? 」

心が誰よりも美しくて清らかだったから…なんていうのは、子供のおとぎ話に過ぎないと、オトナになった今なら分かる。そう、2人が恋に落ちたのは、中身を知ってからではなく、初めて視線を交わしたその瞬間だったのだと。

おとぎ話の主人公になりたいのなら、女は誰よりも美しく目立たなければならない。なぜならそれは、秘密なようで秘密ではない、恋愛市場における男女の掟だから…

聞かれてもいないのに、気がつけばマギーは心の中でそう語りかけていた。

30分後、バーバリーのレッド・パレードをまとい、シャネルのショートブーツを履いたマギーは最後の関門である税関の前に立っていた。無表情のままパスポートと自分とを見比べる検察官には極上の微笑みで応対し、お城への切符を促す。心なしか栗色の目は輝きを増し、頬はまるで恋に落ちたかのように上気していた。

準備は全て整った。

「さあて、と」

満足げに微笑み、ロビーへと足を踏み出したその瞬間、ポケットの中のiPhoneが音を立てて振動した。ようやく電波が入ったのだろう。なぜか速まる胸の鼓動に手のひらを押し当てながら、マギーはそっと指で画面をなぞる。

「マリちゃん、久しぶり。元気?無事予定通り終われそうなので、例の丸の内中央口を出たところで待っているよ。1ヶ月ぶりに逢えるのを、楽しみにしています。―裕二」

裕二さん…

湯気が立つくらい頬を赤く染め、汗ばむ手のひらでiPhoneを握りしめると、「マリ」はJR羽田空港国際線ビルに向かって駆け出した。

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