SPECIAL TALK Vol.1

~やりたいことがあれば、リスクをとって挑む。チャレンジすることで成長できる~

希望した通りにならなかったことが良かった

新浪:振り返ってみると、ひとつの大きな転機は大学時代ですね。僕が夢に描いていたのは、アメリカへの憧れもあり、外交官になることでした。だから、東京大学の文科一類に行こうとしていました。しかし、大学受験で落ちてしまって。

金丸:もともと慶應志望ではなかったのですか。

新浪:中学1年までは、勉強はできないわ、遅刻はしょっちゅう、と生活が乱れていたんですが、それを変えてくれたのが、中2で始めたバスケットボールでした。背が高かったこともあって、すぐにレギュラーになり、練習も毎晩7時まであってキツかったですから、ダラダラした生活が、これで一気に締まったんです。朝5時に起きて勉強もするようになって。生活にリズムができて、そしたら成績も上がって。

金丸:だから、今も忙しいのが好きなんですね(笑)。

新浪:はい(笑)。結局、バスケットは高校でも続けて、中心選手として活躍しました。いわゆるバスケエリートだったんです。チームも強くて関東大会で3位になりました。僕は国体選手になって、最優秀選手の3人にまで選ばれて。
ただ、こういうエリートには、たとえばベンチに座って試合に出られないチームメートの気持ちなんてまったくわからないわけです。

振り返って今思うのは、もしあのままストレートで東大に入って外交官になっていたりしたら、自分の人生はどれだけ悪くなったか、ということです。というのも、その後、受験に失敗して、しかも膝を壊してバスケも続けられなくなったのです。そんな状況でしたが、体育会をやりたかったので、全く経験のなかった器械体操部に入るんです。

金丸:やったことのないスポーツを。失礼ですが、体は硬そうですが(笑)

新浪:そうです。だから、4年間、ベンチ中のベンチですよ。選手になんてなれない。話にもならない。そこでやっていたのが、部や選手をサポートすること。裏方って、本当に大切なんだと初めてわかりましたね。体育会本部の仕事もしました。OBに頭を下げて、お金を集めたり、合宿のためのカンパをもらったり。

金丸:それは、いい経験でしたね。

新浪:縁の下の力持ちです。そこで一緒になる仲間は、選手としては一流ではないけれど、ものすごく頑張るんです。これがまた素敵で。おかげで、自分ひとりでは何もできないんだ、ということを知りました。たくさんの素晴らしい友達もできた。結果論ですが、今は行きたいところに行けなかったこと、バスケット人生が続けられなかったことが、逆に良かったと思うんです。

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