30.5歳~女たちの分岐点~ Vol.2

「私のモットーは走りながら考える」バリキャリ金融女子・河村真木子が迷うときに実践する2つのこと

「30.5」歳。

それまでをどう生きるかで、その後の人生が変わると言っても過言ではない。

本連載ではインタビューを通して、今活躍中の女性たちが「30.5」歳のときに何をしていたのか。また、そこに至るまでのキャリアを振り返り、何を考え、どう行動してきたのかを掘り下げていく。

今回登場するのは、“金融バリキャリ女子”として名を馳せた実業家の河村真木子さん。

人生の「起」は、留学を機に自分の道を切り開き、リーマン・ブラザーズへ入社するまで。そして、外資金融の世界に初めて足を踏み入れた「承」、キャリアの転換期となった30.5歳を経て、業界最大手のゴールドマン・サックスへの転職。さらには退職を決意するまでを紹介する。

ひたすら「上」を見続けた彼女の先に待っていたものとは、何だったのだろうか。


取材・文/風間文子

あわせて読みたい!プレミアム会員限定オリジナル記事を、今すぐチェック>>

今回お話を聞いたのは、河村真木子さん


1976年、奈良県生まれ。将来に不安を抱いた高校時代のモラトリアム期を経て、高校3年生の春にロサンゼルスの高校へ転入を決意。帰国後、関西学院大学に入学するも自主退学し、UCバークレー校に進学。

卒業後は米投資銀行のリーマン・ブラザーズに就職。業界でも有名な“バリキャリ金融女子”として活躍。その後、ゴールドマン・サックスを経て2021年8月に起業し、オンラインサロン「Holland Village Private Community」の運営者となる。

2022年10月には初の書籍『超フレキシブル人生論“当たり前”を手放せば人生はもっと豊かになる』(扶桑社刊)を執筆するなど多岐に渡り活躍。

INDEX

1.20代でシングルマザーとなっても、仕事で結果を出せた理由

2.女性が「上」を目指すと気づく男女差別…「ガラスの天井」の実態

3.給料や社会的名声を手放してでも、自分がやりたいことをやる意義

4.大切なことは「今自分が見えている世界だけで判断しない」


―― 前編では、河村さんが「リーマン・ブラザーズ」に入社されるまでをお聞きしましたが、初めての金融の世界はどうだったんですか?


22歳で新卒入社した頃はバリバリ働いて「3億円稼ぐぞ!」なんて気合十分だったんですが、すぐに「社会人って、こんなに難しいんだ」と思い知らされましたね。

それから、私が社会人になって早々に衝撃を受けたのが、妊娠・出産は簡単なことではないということ。

職場では不妊治療に何年も取り組んでいて、それでも子どもに恵まれない方も多く、年齢による妊娠確率のグラフを見せられたりしました。そして40歳を超えると確率は本当に少なくなる現実を知るんです。

そうしたこともあって、いずれは子どもが欲しいと思っていた私は入社2年目の26歳で当時付き合っていた男性と結婚し、翌年の27歳で出産。その後、1年は育休を取りました。

―― 子どもを産んだらキャリアに影響があるんじゃないか、とは考えなかったんですか?


入社して初めてわかったことがあるんです。それは、外資の世界では会社をクビになることが当たり前だということ。一方で、出産でキャリアが中断されて不利になるっていう感じはなく、ちゃんと戻れるし、その後うまくいくかどうかは、その人次第。完全に“数字”がすべての世界でした。

なので、子どもを産もうが産むまいが、あまり関係ない。むしろ、キャリアを気にして子どもを我慢して、毎日会社にいたところでその会社に残れる保証はどこにもないわけです。

だったら、あれこれ考えるよりも「今、産みたい」という気持ちに従った方がいいなと判断しました。

夫とは価値観の違いが原因で29歳のときに離婚、20代でシングルマザーになりました。それでも「仕事で結果」は出してましたね。



河村さんは離婚後、リーマン・ブラザーズにおける“若手トップセールス”となり、成績優秀者としてニューヨーク本社に招待されたこともある。

外資系金融の世界には、幼少の頃から華々しい学歴を持ち、育ってきた環境にも恵まれ、博識を兼ね備えたエリートが数多くいる。

そうした世界でも彼女が結果を出せたのは、「彼らにできないことが自分にはできたから」だと言う。

20代でシングルマザーとなっても、仕事で結果を出せた理由


―― リーマン・ブラザーズで河村さんが結果を出せた勝因は、何だったと思いますか?


おすすめ記事

もどる
すすむ

東京カレンダーショッピング

もどる
すすむ

ロングヒット記事

もどる
すすむ
Appstore logo Googleplay logo