30.5歳~女たちの分岐点~前編 Vol.2

給料がレベチな外資金融・GSを経て、オンラインサロンで月1億を稼ぐ河村真木子。壮絶な人生を紐解く!

「30.5」歳、それは女性がキャリアチェンジする平均年齢だ(引用元:doda転職成功者の平均年齢調査)。

それまでをどう生きるかで、その後の人生が変わると言っても過言ではないだろう。

本連載ではインタビューを通して、今活躍中の女性たちが「30.5」歳のときに何をしていたのか。また、そこに至るまでのキャリアを振り返り、何を考え、どう行動してきたのかを掘り下げていく。

今回は“バリキャリ金融女子”として名を馳せ、運営するオンラインコミュニティ「Holland Village Private Community」での売上は月1億円以上とも言われる河村真木子さんがゲストだ。

彼女は「30.5」歳までをどう生き、その後どんな道を歩んだのだろうか。


▶前回:元TBSアナ笹川友里。ADから女子アナへ異例の抜擢、そして人気絶頂で退社…そのワケとは?

今回お話を聞いたのは河村真木子さん


1976年、奈良県生まれ。将来に不安を抱いた高校時代のモラトリアム期を経て、高校3年生の春にロサンゼルスの高校へ転入を決意。帰国後、関西学院大学に入学するも自主退学し、UCバークレー校に進学。

卒業後は米投資銀行のリーマン・ブラザーズに就職。業界でも有名な“バリキャリ金融女子”として活躍。その後、ゴールドマン・サックスを経て2021年8月に起業し、オンラインサロン「Holland Village Private Community」の運営者となる。

2022年10月には初の書籍『超フレキシブル人生論“当たり前”を手放せば人生はもっと豊かになる』(扶桑社刊)を執筆するなど多岐に渡り活躍。

自分で人生を切り開かないと、誰も手伝ってはくれない


―― 現在、河村さんが運営するオンラインコミュニティ「Holland Village Private Community」での売上は月1億円以上と言われ、関連事業でも多くの成功を収めていますが、ご自身にとっての「30.5」歳はどういったタイミングでしたか?


私にとっての「30.5」歳は、とても重要な「転換期」でしたね。

その頃の私はというと、自分の能力とか自分に何ができるのかを試してみたくて、変化を望んでいた時期でした。

そして、31歳のときに新卒で入社した会社から初めて別の会社に転職するんです。

―― 外資系投資銀行「リーマン・ブラザーズ」から同じく外資系の「ゴールドマン・サックス」に転職されたタイミングですね。


そうです。外資系金融業界の最大手である「ゴールドマン・サックス」からスカウトが来たんですが、さすがにそのときは震えました。

仮に自分の人生を映画にするならば、その出来事は起承転結でいう「転」。これがなかったら全く違う今になっているでしょう。

もしかしたら、“バリキャリ金融女子”の河村真木子も生まれていなかったかもしれない。


―― では、河村さんにとって原点となる「起」は、どこから始まるんですか?


私にとっての「起」は、17歳の頃に遡ります。当時の私は大阪府東大阪市の下町にある公立高校に通っていました。

そこは偏差値の低い学校で、なかでも私は学校にもろくに行かないような生徒だった。当時の暴走族の彼氏と、そのグループの子らと時間を“ダラダラと潰す”という日々を過ごしていました。

高校卒業後の未来なんて、あって無いようなもので、「リーマン・ブラザーズ」や「ゴールドマン・サックス」って何?っていう世界です。

実際、周囲にいた人たちも、大学に進学するような人は皆無で、高校卒業後は就職が当たり前。親しくしていた先輩らも卒業後すぐに職人になったり、建設作業員になったりして働き始めた。

女友達はというと、さっさと結婚して子どもを産むか、地元のスナックで働き始めるとか、そういうのが“私たちの進路”だったんです。

―― そうした世界から、どうやったら金融の世界、しかも外資の世界へとつながるんですか?


私は、周囲の先輩たちの生き方を見ていて「そこにはひとつの幸せがある。でも少なくとも今の私には合わない」って思ったんです。

もちろん、まだ金融の世界だなんて考えてもいません。ですが、とにかく自分で道を切り開かないと誰も切り開いてくれない。その一心で思いついたのが「留学」でした。親に頼み込み、なんとか実現させて…。

これが、起承転結でいう「起」になっていきます。この留学という経験を通して、私の価値観は一変しました。

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