SPECIAL TALK Vol.85

~自分のためではなく、チームそしてリーグのために。経営者としての強みを異分野で生かしたい~

新潟の自然のなかで伸び伸び育ったスポーツ少年

金丸:早速ですが、ご出身は?

島田:新潟県の村上市です。

金丸:村上牛の産地ですね。

島田:瀬波温泉や日本酒の「〆張鶴」もよく知られています。平成の大合併で村上市になりましたが、私が生まれたところはもともと朝日村という村で、山と川と田んぼしかない、本当にど田舎中のど田舎です。

金丸:私も都市部の生まれではないので、田舎出身の方には親近感が湧きます(笑)。島田さんはどんなお子さんだったのですか?

島田:腕白坊主でしたね。海に魚釣りにいったり、潜って素手で魚を捕ったりしていましたよ。捕った魚は自分で焼いて食べることもありました。

金丸:大自然のなか、伸び伸びと育ったんですね。都会のど真ん中で自然と無縁の暮らしを送るよりは、自然が豊かな環境で育ったほうが、人にも深みが出るような気がします。

島田:金丸さんは鹿児島ですよね。

金丸:大阪生まれの鹿児島育ちです。

島田:私、鹿児島が大好きで。友人もいるので、結構遊びに行きます。城山ホテルから見える桜島の光景、あれはいいですね。

金丸:ありがとうございます。ああいう雄大な景色は、日本でもなかなかないですよね。「西郷隆盛と大久保利通は、この桜島を見て育ったからこそ」という気持ちになります。

島田:本当にあの景色をみていると、タイムスリップしたような感覚になります。

金丸:新潟にはいつまでいらっしゃったんですか?

島田:中学までです。高校は越境して、日本大学山形高等学校へ進みました。

金丸:なぜ越境されたのですか?

島田:中学でサッカーを始めて、のめり込んで。新潟だとインターハイや高校選手権の常連になるような強豪校がなかったんですが、当時、日大山形は部活動に非常に力を入れていて。東北の有力な選手が集まる学校だったんです。

金丸:もともとはバスケットボールではなく、サッカーをされていたんですね。

島田:バスケットボールと関わったのは、40歳を超えてからで、ルールもそれから覚えたレベルです(笑)。そもそもサッカーよりも前に、小学校から野球を。

金丸:私も最初にやったスポーツは、野球です。ポジションはどこでしたか?

島田:ピッチャーです。でも変化球を投げすぎて、肘を壊してしまいました。そのあと左投げに転向し、そこそこ遠投ができるくらいにはなったんですが。

金丸:中学校でも野球部に?

島田:はい。野球部に入ったんですけど、ちょうどその頃、漫画の『キャプテン翼』が大ブームになって。気持ちは野球からサッカーに。

金丸:それでサッカー部に入り直した?

島田:いえいえ。田舎なもので、サッカー部がなかったんですよ。

金丸:では、本格的にサッカーを始めたのは高校からなんですね。それで強豪校を選ぶというのは、なかなかチャレンジャーですね。

島田:そうですね。日大山形のサッカー部には部員が80人くらいいて、そのなかでレギュラーに食い込むのはちょっときつかったです。ポジションはフォワードでしたが、海外遠征に選ばれるくらい実力のあるチームメイトとポジションがかぶっていたし。

金丸:当時の日大山形って、どのくらい強かったんですか?

島田:私が在学していた3年間、インターハイも選手権も3年連続で出場しています。

金丸:じゃあ、県では圧倒的な存在ですね。確かにそこでレギュラーを勝ち取るのは並大抵ではない。

島田:わざわざ越境したんですけど、悔しい思いをした3年間でした。

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