SPECIAL TALK Vol.83

~退屈をなくすために必要なのは没頭。テクノロジーの力で既存の体験をより価値のあるものへ~

澤邊:不可能でした。でも、数年前にそのかさぶたを溶かす薬が発見されて、IPS細胞も研究が進んでいるので、いずれ治療は可能だろうという状況になってきました。ただ、当時はそんな未来、予想もできませんからね。「いくらやっても、戻らないものは戻らない」と理解するのに、2年半かかりました。今になって思えば、それを理解させるためのリハビリだったんでしょうね。

金丸:時間をかけて理解したとしても、その苦しみは相当だったかと。

澤邊:一生治らないなら、これからどうすればいいんだろうと悩んだし、苦しかったですよ。でも、治すことだけが生きる目標になるのは、嫌だなとも思ったんです。たとえば、周りには30年前に怪我をして、改善が見られないのにずっとリハビリを続けている人もいました。治すことを何より大事にしたい、という気持ちはわかります。だけど、僕はそこにとらわれるのではなく、「もういいや」と思うことにしました。

金丸:「もういいや」ですか。深くて大きな決断ですね。

澤邊:治すことを考えない。というか「一切受け入れない」。自分は障害者じゃない、と思い込むことにしたんです。とにかく病院を出て、怪我をしていなかったらやっていたであろう世界に近づいていこうと。

プログラミングとの出合いが、未来を切り拓く希望になった

金丸:それで、どうされたのですか?

澤邊:社会復帰のために大学に通い始めました。

金丸:大学では何を勉強されたのですか?

澤邊:プログラミングです。病院でのリハビリ期間中に、初めてMacとWindowsに触れたんです。リハビリといっても、僕は自分で動けないので、病院のスタッフの手を借りないと何もできません。でも、彼らも僕だけにかかりっきりというわけにはいかない。だから退屈な時間が長くて。

金丸:でも、その退屈な時間があったから、プログラミングに出合えたんですね。

澤邊:そうですね。プログラミングは単純に面白いと思えたし、それ以上に、自分にぴったりだと感じました。というのも、この世界なら障害なんて関係なくやれるじゃないですか。当時はインターネットの黎明期でしたが、ネットでやり取りしている限りは、「僕は車椅子です」とわざわざ言う必要もありません。

金丸:おっしゃるとおりです。ネットを介したら、老若男女なんて関係ない、実力主義の世界です。

澤邊:それがすごく気持ちよくて、ウェブサイトを作ったり、サーバーを構築したりというところから始めて、どんどんのめり込んでいきました。

金丸:澤邊さんが怪我されたのが、1992年。Amazonが創業し、インターネットに一気に商業化の波が押し寄せたのが95年。あの頃のことは、何年に何があったか鮮明に覚えています。時代の大きな転換点でしたが、澤邊さんにとってもタイミングがうまく噛み合ったんですね。

澤邊:ちょうどその頃、「朝日広告賞」のウェブサイト版として、坂本龍一さんや日比野克彦さんが審査員をされた「朝日デジタル広告賞」が行われていました。たまたまその記事を見て応募したら、95年、96年と2年連続で入賞して。「もしかしたら、これをビジネスにできるかも」という自信になりましたね。

金丸:素晴らしいですね。作品のどんな点が評価されたのでしょう?

澤邊:当時はまだテキストと画像だけのウェブサイトがほとんどでしたが、僕はJavaやGIFアニメーション、Macromedia Directorなどを使って、動きのあるものを作りました。その頃の技術水準から見れば、かなりリッチな表現ができていたと思います。あくまでも当時の水準で、ですけれど(笑)。

金丸:今や、ウェブサイトで映像が流れるのは当たり前ですからね。

澤邊:よく覚えているのが、「フロッピーディスク1枚に収まるデータ量で応募してください」という規定です。要は1.44メガバイト以内に収めないといけない。

金丸:今の20代はフロッピーディスクがわからないかもしれませんが、「ギガ」ではなく、「メガ」ですからね。

澤邊:おかげで、データの圧縮にすごく苦労した記憶があります。

金丸:その後、起業されるんですね。

澤邊:はい。まだ在学中の97年に個人事業として「ワン・トゥー・テン・デザイン」を立ち上げました。

金丸:97年というと、堀江貴文さんもライブドアの前身「オン・ザ・エッヂ」を設立しましたね。

澤邊:あの頃はまだ日本版の検索エンジンがあったり、まぐまぐ(メールマガジン配信サービス)が生まれたり、一方で、海外からYahoo!がやってきて、しばらくするとGoogleも上陸して。目まぐるしくて面白い時代でした。だから僕もワクワクしながら起業しましたよ。

金丸:澤邉さん、コンピュータやプログラミングと出合ってよかったですね。

澤邊:本当に。それがなかったら、何をしていたのか想像もつきません。でも、事故があったからこそ、「僕は何をしたかったんだっけ」と考えることができたように思います。もともと芸術系と工科系のどちらも好きで、大学でどっちに進むか悩んだこともあって。だったら、両方を融合したメディアアートの分野に進めばいいや、と。

金丸:大学に入学する前は、どんな夢を持っていたのですか?

澤邊:とりあえず大学に入ったら、そこそこの企業に就職できるだろうとしか考えてなかったですね。「どこに行くかわからないけど、エスカレーターには乗った」くらいのイメージでした。実際には、そこから大幅に脱線するわけですが。

金丸:でも、寄り道や脱線はそれ自体、全然悪いことじゃないと思います。

澤邊:僕もそう思います。多摩大学の田坂広志名誉教授は、古来より優れた経営者には、投獄や大病、戦争など、生死にかかわる経験をした人が多いとおっしゃっていました。僕が優れた経営者だと言いたいのではなく、思うようにいかない時間が、結果として自分を見つめ直し、本当にやりたいこと、やるべきことに向かう力を生み出すことにつながる。そういうことがあるだろうな、と思います。

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