2020.11.02
本命昇格・虎の巻 Vol.1「ごめん、お待たせ」
時と場所は変わって午後8時15分。賑わう『クリスチアノ』の店内でぽつんと1人、メニューを眺める蓮に私は両手を合わせた。
長い睫毛に縁どられた、涼やかな切れ長の瞳がこちらを向く。すっと通った鼻梁に、薄くて小さな唇。どんな凄腕クリエイティブディレクターでも、ここまでの完璧なバランスでパーツを配置するのは難しいだろう。
「いや、俺もさっき着いたとこ」
素っ気なく言うこの彼が、お察しの通り、私の「片思い話」の相手である。26歳だから、私より2つ年下。長々と容姿を褒め称えたから、顔に惹かれていると思ったでしょ。
蓮の手元に置かれたグラスを見て、思わず笑みが漏れる。シュワシュワと黄金色に泡が弾ける飲み物は、もう半分くらい無くなっていた。
「めっきり寒くなってきたね」
「だな。冬野菜のスープおいしそう」
蓮は絶対に人を責めず、否定しない。
出会いはなんと、ざっくり四捨五入して四半世紀ほど前にさかのぼる。知る人ぞ知る仏教系私立幼稚園のとりぐみさんだった私が、にじぐみさんの蓮と運命の逢着を果たしたのは、園の砂場だった。
お母さん同士も意気投合し、なんと同じ町内に住んでいたことも発覚。2人ともエスカレーターで付属小学校に上がり、一足先に私が卒業するまで毎日のようにお互いの家で遊び、宿題をしていた仲なのだ。
「会社どう?もう慣れた?」
「まあ院生のときからインターンしてたし、何ならほぼ立ち上げメンバーだし」
あと1年くらいしたらシニアエンジニアになれるって言われた、と言う蓮に、私は小さく拍手した。
「え、すごいじゃん。祝杯あげよう。ごちそうさまです」
「俺がごちそうするのかよ」
お待たせしましたー、と冷えたグラスとポルトガルシェアNo.1のビール・サグレスが運ばれてきた。私が動くよりも先に蓮の細長い指が瓶をとらえ、とぽとぽと注いでくれる。
こうした細かい気づかいは、彼のお姉ちゃんが厳しくしつけた賜物であることを、私だけが知っている。
乾杯、と飲み始めれば楽しい時間はあっという間。
ぶっきらぼうで愛想がないけど、この外見、さらには早稲中・早稲高からの東工大にストレート入学、院卒で今をときめく急成長中のベンチャー企業のエンジニア(そのうえ来年シニア)。
弾む話題は多岐にわたり、気遣いもできて、必ず肯定してくれる。
「蓮はまだ彼女できないの?」
探りを入れていると悟られないよう、思い出したように問うと、蓮は表情を変えないまま、とろけそうに柔らかく火の通った子羊肉のグリルドハンバーグにフォークを入れた。
「彼女も何も、俺が会う女子ってなつめくらいしかいないよ」
どきん。心臓が跳ねる。
「そーなの?」と適当な相槌を打ったが、彼の言葉が事実であることを私は知っている。
蓮は6年間男子校で、学部や院でも、ほぼ女子のいない空間に身を置いてきた。職場だって技術職で、出会いがないこともリサーチ済み。
蓮が心を許している女子は、私だけ。現にこうして10日に1回は顔を合わせ、共に食事をしている。
付き合うまできっとあと少し。私の思い違いではないはず。
そう、あと少し、あと一押し。ぼんっ、とマイコさんの顔が思い浮かぶ。
―よく言われんねんキューピッドって。
「…そういえばさ、私に良くしてくれてるクライアントに『凄腕SEの幼馴染がいるんです』って話したら、3人でご飯行きましょって言われたんだけど、来てくれないかな」
「凄腕SEの幼馴染って誰のことだよ」
「そのクライアント、『アイム・アフロディーテ』って化粧品会社の社長さんなんだけど。…っていっても知らないよね」
そう言ってのんきに笑っていた私の頬を、今となっては思い切り叩きたい。
この時、気付けばよかったのだ。
ハンバーグをつつく蓮の手が、ぴくりと一瞬止まったことを。そしてたっぷり5秒ためて「…別にいいけど」と言った蓮の声が、普段よりわずかに上擦っていたことを。
▶他にも:「誰だっけ?」しつこく狙っていた女の名前を忘れた男。そのまさかの理由に愕然・・・
▶NEXT:11月9日 月曜更新予定
出会ってしまった蓮とマイコ。そして二人の関係は急展開を見せて…
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