2020.09.10
溺れる男~理性と本能のあいだで~ Vol.2甘くてスパイシーな官能的な香り、恐ろしい程艶やかな黒髪、ずっと聞いていたいと思えるようなしっとりした声、シルクのように冷んやりした滑らかな白肌…
目を合わすと吸い込まれてしまいそうなほど黒々とした瞳、柔らかいのに弾力のあるぽってりした赤い唇…
真珠の唇に触れたとき、僕は初めて納得してしまったのだ。
『あぁ、これが“相性が良い”ということか…』と。
今まで「相性が良いね」と女性側から言われることは何度もあったが、いまいち腑に落ちていなかった。
リードするのはいつだって僕の方だし、誰とキスしても同じような感覚だったのだ。
最初は軽く唇に触れ、次は下唇を吸ってみる、その次は舌を入れて、そろそろやめどきか、こんなもんだろう、と口の中でお互いの様子を探り合うように気を使い、冷静に頭で考えながらキスをしていた。
僕にとってキスは女性に対しての礼儀であり、その後へ繋ぐための最初の一手でしかない。
しかし、昨夜の真珠とのキスは僕に衝撃を与えた。
彼女の唇に触れた瞬間、もう二度と離れられないような感覚に陥り、頭が真っ白になった。
何も考えずとも永遠に続いてしまうような、終わりのないキス。
理性が完全に消失しそうになった瞬間、恐ろしくなった僕は理性を奮い立たせ、彼女を突き放した。
「あれ、そういう感じじゃなかった?ごめん、帰るね」
彼女はあっけらかんとした顔でそう言うと、僕からすっと離れた。
次の瞬間にはもう、バタンとドアが閉まる音が虚しく響いていたのだった。
正味、たった1時間の出来事だった。結局彼女の正体はよくわからないし、連絡先も聞けぬままいなくなってしまったのだ。
僕の記憶からもそのまま儚く消え去るはずだったのに、何故か強烈にこびりついて離れない。
酒の場で出会ったばかりの男とキスするなんて軽い女だと思うのが普通だが、彼女に対してそのような印象はない。
酔った勢いでもなく、流されたわけでもなく、投げやりだったわけでもなく、お互いに惹かれ合う何かが確かにあり、自らの意志でそうしたわけで、よくある過ちとして片付けるには印象が深すぎた。
何事にも動じないドライな自分の心が微かに揺れ動くような、不思議な感触が残っているのだ。
「誠一さん…?ねぇ、聞いてる…?」
可奈子という名の天使が、白昼夢の中で漂う僕を現実へ引き戻してくれた。
僕は銀座のグランメゾン『ロオジエ』で可奈子と食事中、ナイフとフォークを手に持ったまま呆然としていたようだ。
「誠一さんのご両親はどこで結婚式を挙げたんですっけ?うちは代々帝国ホテルなので、おばあちゃまが帝国にして欲しいってうるさくって…」
「えーっと、式場?うちはオークラだったかな。でも結婚式は女性にとって一大イベントだから、可奈子の希望を尊重するよ」
牛フィレ肉のポアレと共に、昨日の出来事を無理やり腹の底に流し込んだ。
「関係者の方がおじいちゃまの友人で、去年リニューアルオープンした際に家族総出で伺いましたけど、オークラも素敵ですよね。迷っちゃいます」
「まぁ結婚式は来年だし、まだ焦る必要はないから今度両方観に行ってみようか」
フロマージュにデセールにフリヤンディーズのワゴン、そして最後にカフェを頂きようやくディナーが終了した。
「最近大手町にフォーシーズンズがオープンしたんだよ、一杯飲みにいかないか?」
「もう、お酒は懲り懲りです」
可奈子は恥ずかしそうに俯きながら笑う。可奈子は愛おしい女性だ。彼女を見ていると「守ってあげたい」という気持ちが湧いてくる。
小さな手のひらをそっと掴んでタクシーにエスコートし、白金台にある可奈子の実家へ向かった。
この記事で紹介したお店
ロオジエ
婚約者の可奈子が、本当に天使なのか、まだ分からないからね😏 裏の顔があるかもよ? 明子さんみたいに……。
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