SPECIAL TALK Vol.65

~「お金がない」と可能性を諦めないで、挑戦があふれる社会を目指したい~

私立の一貫校で、外の世界を知らずに育つ

金丸:早速ですが、お生まれはどちらでしょう?

米良:小さい頃は目黒区の不動前に住んでいました。その後は、世田谷区の祖師谷に。

金丸:東京生まれの東京育ちなんですね。ご両親はどんなお仕事を?

米良:父は私が中学生の頃までは、化粧品会社のコピーライターでした。

金丸:クリエイティブ系のお仕事ですね。

米良:母は父と同じ会社でPRを担当していましたが、私を産んでからは専業主婦になりました。結構歳をとってから授かった子どもだったので、一人娘として大事に育てられました。

金丸:小さい頃はどんな遊びを?

米良:妄想癖があったので、何でもひとりで楽しんでいましたね。ひとりでままごとをして遊んだり、絵を描いたり、いろんなキャラクターを作ったり。

金丸:米良さん自身もクリエイティブだったんですね。

米良:ひとりが苦にならないというか、ひとりで考えたり、ボーッとしたりするのがすごく好きでした。ひとりの時間がないと苦しくなるタイプです。

金丸:学校はどちらに?

米良:小学校から高校まで成城学園です。

金丸:“お嬢様コース”ですね。

米良:成城学園の女子は、お嬢様というより自分の世界を持っていて、我が道を行くタイプが多いんですよ。私もよく「成城学園っぽいね」と言われます。

金丸:部活は何をしていましたか?

米良:ずっと運動系でした。小学校の頃からバスケットボールとか水泳とか、割と何でもやっていました。高校ではフィールドホッケーもやっていました。

金丸:それは珍しい。

米良:ユニフォームがかわいいな、と思って始めたんです。ラクロスみたいにチェックのスカートにポロシャツなんですよ。

金丸:なんだかミーハーな理由ですが(笑)。

米良:あとはチームプレーが好きということもあって、高校時代は部活を一生懸命やっていました。ただ、3年生からは部活をやめて、受験勉強に専念しました。

金丸:ということは、大学は外部に行かれた?

米良:ええ、慶應義塾大学の経済学部に。中学生のときの家庭教師の先生が慶應の方で、大学生活がすごく楽しそうだったんです。成城学園は幼稚園から大学まですべて同じ敷地内にあり、ある意味、閉ざされた学校ともいえます。小学校からずっと同じ友達とぬくぬくと育って、外部とかかわる機会がほとんどないんですよ。

金丸:そこから飛び出してみたかったのですか。

米良:飛び出したことが、今につながっていますね。高校までは起業するとか、インターネットやテクノロジーの可能性とか、そういうことは全然考えていませんでしたから。

【SPECIAL TALK】の記事一覧

もどる
すすむ

おすすめ記事

もどる
すすむ

東京カレンダーショッピング

もどる
すすむ

ロングヒット記事

もどる
すすむ
Appstore logo Googleplay logo