SPECIAL TALK Vol.60

~自分と他人との境界線をどう越えていくか、その先に世界平和があると信じている~

世界平和を学ぶために進学。味わった挫折と見えた光

金丸:ところで、石山さんは高校時代、エイベックスに所属されていたそうですね。

石山:はい。エイベックスのアカデミーに。

金丸:それはスカウトされたのですか? それとも自分で応募したんですか?

石山:高校1年生のときに自分で応募して、オーディションを受けたんです。

金丸:3歳からサンバをやっていたんだから、合格できるでしょうね。しかし、なぜまたオーディションを? そういう世界に憧れがあったんですか?

石山:マイケル・ジャクソンやジョン・レノンのような人になりたくて。

金丸:石山さん、さっきからスケールが大きいですね! ヒトラーが出てきたと思ったら、今度はマイケル・ジャクソンに、ジョン・レノン。

石山:頭のどこかでずっと世界平和のことを考えていて、社会問題に目を向けさせることのできるアーティストに憧れを抱いていたんです。いずれは歌やダンスを通じて世界平和を訴えるピース・メッセンジャーを目指していました。

金丸:でも、周りにそんな目標を持っている人はいなかったのでは?

石山:おっしゃるとおりです。浜崎あゆみさんになりたい子と、BoAちゃんになりたい子に囲まれて(笑)。「マイケル・ジャクソンになりたい」と私が言っても、全然わかってもらえない。ショービジネスについてまったく知らないまま飛び込んだので、「これは売れる」「これは売れない」と先生が話しているのを聞いて、「いや、私は戦争とか平和について表現をしたいんですけど」と言っても、やっぱり通じない。

金丸:それはそうでしょうね。視点が違いすぎる。

石山:あるとき、そのことを高校の担任の先生に相談しました。もともと大学に行くつもりはなかったのですが「まずは平和について学びなさい。日本で一番、平和研究が進んでいるのは国際基督教大学(ICU)だ」と教えてくれて、進学を決めました。

金丸:では、それがきっかけでICUに。なかなかの難関校ですが、やると決めたら突破力がすごいですね。

石山:当時の私は、戦争のような極限の状況であっても、人種や民族を超えて、誰かを思う気持ちや愛、良心といったものが発揮されると考えていました。そこから発展していって「人類が持ちうる唯一の可能性というのは、思いやりのような”良心“にあるんじゃないか」と。ただ、進学して、現実の平和研究や紛争解決、国際開発を学ぶにつれて落胆しました。結局、紛争解決や平和維持は、政治と経済のアプローチでしか解決できていないということがわかってきたからです。「あれ? 世界平和って無理なんじゃ……」と自信を失くしてしまいました。

金丸:でも、そこで黙っている石山さんじゃないでしょう?

石山:また旅に出ました。スケッチブックを持って、世界中の人たちに「あなたにとって平和とはなんですか?」と聞いて回る旅です。すると、途中からどんどん仲間ができて、彼らもまた各国で「平和とは?」と聞いて回ってくれて。

金丸:石山さんの行動が世界各地に波及したんですね。

石山:その活動を通じて、やっぱり良心や愛、大切な人を思う気持ちは世界共通なんだ、と確信しました。自分の良心をもとに他者を思う気持ちの輪を世界中に広げたら、きっと世界平和につながる。世界平和の唯一の解に違いない、と。

金丸:それは現在の石山さんの活動、特にCiftでの実践につながっているのではないですか?

石山:まさにそうですね。拡張家族という試みも、自分と他人の境界線をどう変えていくか、これまで他人ごとだったことをどうやって自分ごととして、家族のようなものとして捉えられるかという実験です。他人ごとを自分ごとに捉えるということが、世界の端から端まで実現できれば、それこそが世界平和なのではないか、と信じています。

震災後、大企業へ。社会の仕組みと矛盾を学ぶ

金丸:在学中の体験で、世界平和への道を見つけたものの、卒業後は就職したんですよね。

石山:はい。新卒でリクルートに入社しました。

金丸:リクルートを選んだのはなぜでしょう?

石山:もともと就職は諦めていたんです。というのも、大学3年生のときに東日本大震災が起こりました。当時、私はICUで知り合ったベルギー人とお付き合いしていて、震災のとき彼はベルギー大使館でインターン中でした。

金丸:大使館ということは、震災後、一時本国に帰還されたのでは?

石山:ヨーロッパの全大使館が引き揚げましたからね。そのとき、彼の家族が「原発がどうなるかわからないから、アンジュも家族を全員連れてベルギーに来なさい」と。結局、両親は日本に残りますが、震災3日後には、彼と一緒にベルギーに飛びました。

金丸:大学3年生の春休みというと、そろそろ就職活動が始まる時期ですよね。だから諦めた。

石山:はい。そもそも彼の家族は「日本は危ないから移住したほうがいい」という勢いでしたし、私自身、大きな決断をしたと思っていました。ただ、3ヵ月ほどたち一時帰国した際に、リクルートの方とお会いすることになり、気づけば面接を受けていました。面接では当時、リクルートの社長だった柏木 斉さんにお会いしました。

金丸:そこで柏木さんとどんな話をされたんですか?

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