「受験に失敗、この世の終わりかと思った…」挫折を克服するため2,000万払った、元・女医の闇

東大医学部に合格確実と言われていた高校時代


彼女は、物心ついた時から医者を目指していた。というより、そう教育されてきたという。

「父が医者だったことや、小さい頃から成績が良かったので、両親は私が医者になることを期待するようになりました。妹もいましたがそこまで成績がよくなかったし、私が長女ということもあって」

親の期待通り、都内でトップクラスの中高一貫の女子校に入り、その学校でも成績は常にトップだったという。

「こんなこと、あんまり自分から言うことではないんですが…。人より頭が良いっていう自覚は、幼いころからありました。カメラアイっていうんでしたっけ?だいたい教科書とか一度読んだら忘れないですし、旅行とかで一度しか見ていない景色とかも鮮明に覚えているタイプです(笑)」

そんな萌さんが医学部を目指すのは当然の流れだったし、本人もその気になっていた。

「父を含め、親族は皆東大医学部出身だったから、私にも東大へいくことを強く希望していて、現役の時は東大しか受けなかったんです。今思い出しても、この話をするのはつらいんですが。

センター試験はほぼ満点でしたが、本試験で失敗してしまって…。緊張からなのか、頭が真っ白になり試験を途中で棄権してしまったんです。模試の判定もよく、合格は確実と言われていたから自分でも信じられない出来事でした」

そしてこのことがきっかけで、人生の歯車が大きく狂い始めたのだという。

天才少女の狂い始めた人生


「東大に落ちて精神的ショックをうけて、とても受験を続けられる状態じゃなかったんです。とりあえず出願していた、センター試験の結果だけで入れる私立大学に入りました。浪人する気力も湧かなくて」

医学部ではないものの、世間一般からみると十分な進学先のように思えるが、本人は全く納得がいっていなかったようだ。

「あのときの絶望感は、この世の終わりという感覚でした。世界がゆがんで見えたというか。東大医学部以外は大学じゃないと思ってましたから(笑)」

受験に失敗したというショックとトラウマで、大学に行くことすらできないこともあった。そのため、華やかなキャンパスライフとは程遠い、孤独な日々を送っていたという。

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