もう1人の私 Vol.2

「軽めのサイコ」と呼ばれた超エリート外銀夫。歪んだ欲望が招いた、破滅へのカウントダウン

貴方は、自分の意外な一面に戸惑った経験はないだろうか。

コインに表と裏があるように、人は或るとき突然、“もう1人の自分”に出会うことがある。

それは思わぬ窮地に立たされたとき、あるいは幸せの絶頂にいるとき。

......そして大抵、“彼ら”は人を蛇の道に誘うのだ。

前回登場したのは、甘美な「既婚者同士恋愛」の罠に嵌った麻美(30歳)。そして今回は、その夫・雄一(33歳)の、「もう一人の私」が目を覚ます―。


「じゃあ、お大事に。何か欲しい土産があったら、明日俺が新幹線に乗る前にLINEして」

マンションを出る直前、寝室のドアを開けて言葉をかける。妻の麻美はふてくされているのか寝たふりか、返事はなかった。

雄一は、妻の不機嫌には気付かぬふりをして、玄関を出た。

マンションのコンシェルジュが、タクシーを呼ぼうかと声をかけるのを断り、有栖川公園沿いの歩道を広尾に向かって歩き出す。

半年も前に予約済みの、同僚に聞いた京都の隠れ家宿は、すでにキャンセルチャージが全額かかる。

雄一は、こんなタイミングで熱を出す妻の麻美を、本当に馬鹿な女だと思う。

風邪は仕方ないとしても、いい大人が当日の朝に発熱するなど、体調と事前の予定管理が杜撰な証拠だ。

iPhoneを取り出すと、周囲をちらと伺ってから電話をかけた。

土曜の朝7時。普通の働く女ならばまだ寝ている時間。

でもきっと「彼女」は、オフィスにいるときと寸分違わぬクールな声で電話に出る。雄一の確信は3コール目に実現した。

「はい」

「もしもし、美砂?…いまから京都にいかないか。君が教えてくれたあの宿、事情があって今夜、押さえてあるんだ」

「いやよ。可愛い奥様のためにとった宿に泊まるなんて御免だわ」

間髪入れずに断られ、落胆と、美砂らしいその返事にどこかほっとする。これが麻美ならどうだろう、尻尾を振って誘いに乗るに違いない。

昔はそんなところが可愛いと思ったものだが、いつの間にかその平凡で俗っぽい反応に白けるようになっていた。

「私は私の泊まりたいところに自由に泊まるわ。京都になじみの店があるの。夕刻に落ち合いましょう」

美砂はいつだって雄一の期待を超えてくる。鮮やかに、涼しげに。

雄一は返事の代わりに、ローンテニスクラブの前で手を上げて、タクシーを止めた。「品川まで」と告げてから、美砂、と呟く。

妻の麻美が熱を出してくれたことに、感謝の念さえ湧いていた。

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