煮沸 Vol.1

煮沸:破滅した時代の寵児。あなたにわかるだろうか。彼はいつから狂っていたのか


「橋上さん、茹でガエルの話って知ってますか?」

飯島は続ける。

「・・・ユデガエル?」

「カエルをね、水を張った鍋に入れて、その鍋をゆっくり沸騰させるんですよ。すると、鍋の水は徐々に熱くなっていくものだから、カエルは死ぬまで鍋の中にいちゃうんです。人間ってね、急には壊れないんですよ、橋上さん。ゆっくり壊れるんです」


私は、社会人になって、特に30歳を過ぎてから大きく人格が変わった。地味なエンジニアが、あれよあれよで事業で成功し、一躍時代の寵児となったのだ。

持ち株の10%程度を売却したが、口座にはこれまでより3桁も多いキャッシュが入り込んできた。

買えないものはない。抱けない女もいない。

よくあるパターンだ。驕ったのだ。そして自分を下げられなくなった。だから、堕ちた。

だが飯島が言うに、どうやら私はとっくにおかしくなっていたらしい。

「どこがおかしいんだ?」

私は聞く。

「ゆっくり、考えてみてください。最後に、答え合わせしましょう」

立ち会いの刑務官に話が終わったことを目くばせで知らせ、私は再び自分の部屋へと戻る。

「あ、橋上さん」

振り向くと、笑顔の飯島が言った。

「あと一個。多くの人が、記憶=”事実”だと勘違いしてるんですよ。記憶はね、”認識”なんです。事実に解釈が加わって、はじめて記憶です。記憶の積み重ねが人生ですからね。誰でもいい人生だったって思えるように、うまくできてるんですよ」

壁の時計は16時40分。そろそろ入浴の時間だ。


『十分。幼少期から、十分、あなたは壊れはじめています』

頭の中で飯島のセリフを反芻しながら、不思議と違和感を感じない自分に、少しばかりの温もりを感じていた。


▶NEXT:第2話
開けてはならぬ記憶の扉が、いま動く。この男の記憶は、すべて都合良く歪曲された幻なのか?

この記事へのコメント

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No Name
また毛色の違う連載が始まった!
煮沸ってどんな意味があるタイトル?と思ったら茹でカエルか。
面白くなりそうで期待。
2018/08/02 05:1699+返信2件
No Name
東カレらしくない、面白そうな連載!読んでて怖いんだけどハラハラして気になるー。最近、新しいのぶっ込んで来てくれるので楽しみ。
2018/08/02 05:3999+返信2件
No Name
もはやレストラン紹介すらなくなってるww
2018/08/02 07:0999+返信3件
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