恋と友情のあいだで 〜里奈 Ver.〜 Vol.4

「年収1,000万の商社マンとは、住む世界が違う」。裕福な経営者妻の、僭越と嫉妬

高みの見物


「いってらっしゃい。気をつけてね」

朝8時。夫の直哉を見送ったあとは、長い自由時間が待っている。

専業主婦になることへの不安もあったが、広尾に購入した新居での穏やかな生活に、私はすぐに順応した。

ブランド物の家具や食器を買い揃え、バルコニーではハーブを育てた。家事がひと段落すると、料理やテーブルコーディネート、ワインについて学ぶ教室に日替わりで通う。

そんな優雅な生活に慣れてしまうと、会社勤めをしていた頃には絶対に戻れないと思った。

もちろんその必要もなかったし、会社への未練もない。

これほど裕福な人生を保証してくれる直哉への感謝や愛情は深まったし、世間の女たちが熱心に“婚活”に精を出す理由もよく理解できた。

俗に“永久就職先”“と呼ばれる妻の立場を、私はしみじみと味わっていたのだ。

のんびりとコーヒーを啜っていると、スマホが鳴る。

—今夜は、20時に南麻布の『茶禅華』に集合です。よろしくね。

それは、遊び友達からの食事会の詳細の連絡だった。


実は私は、優雅な専業主婦生活だけでなく、学生時代のような自由で煌びやかな生活も再び手に入れていた。

義父から正式に事業を継いだ直哉は多忙な上に海外出張も多く、まだ27歳になったばかりの私は時間と体力を持て余していたのだ。

遊び仲間を見つけるのは簡単だった。習い事を通して出会った私と同じような立場の妻友もいれば、既婚を気にせず接してくれる男たちや独身の女友だちも健在だ。

そうして結婚後に舞い戻った夜の港区は、独身の頃よりもずっと気楽に余裕を持って楽しめる場所だった。

というのも、わざわざ人妻に手を出すような男は相対的に少ないし、私自身も、恋愛欲や物欲を満たすために足を運んでいるわけではない。

家庭という揺るぎない安定感のある城を構えながら、単なる興味本意で、夜の港区という戦場で皆が各々に戦うのを眺める。

それは、いわば“高みの見物”とでも言える面白味があったのだ。



そして、偶然に廉を見つけてしまったのは、指定された『茶禅華』の2階の個室に向かおうとしたときだった。

—…廉。

何となく目を向けた1階のテーブル席に、女と仲睦まじそうに向かい合う彼の姿があった。

「…おう、久しぶりだな」

私の視線に気づいた廉は、敢えて気まずさを隠すためなのか、自ら私に声をかる。

「久しぶり。元気そうね」

白々しいほど感じよく微笑む私を相手の女は訝しげに見つめていたが、彼女は廉の好きそうな童顔をしていた。

決して高価ではなさそうなパステルカラーのワンピースに、量産型の女特有の濡れたように光る人工的なピンク色の唇。

「デート?いいわね、楽しんでね。じゃあね」

私はわざと左手薬指のエタニティリングが見えるように手を降ってやり、その場を後にする。

—…所詮、年収1,000万程度の“商社マン”の相手って、あのレベルの女よね。

胸の奥にザラリとした痛みが芽生えたような気もしたが、私は意地悪な感情でそれを打ち消し、もう廉とは明らかに住む世界が違うのだと自分に言い聞かせた。

所詮は他人の力でほんの少し贅沢な生活をしているだけなのに、この頃の私は、まだ世間知らずの生意気な小娘のままだった。

多忙で家を留守にしがちな夫が、実際は外で何をしているのかも、全く知らずに。


▶NEXT:7月18日 明日更新予定
里奈の結婚式に参列した廉が感じた特別な思いと、ある決心。

※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。

この記事へのコメント

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No Name
研修に行くなら壮行会だけど、退職するなら送別会では⁈
2018/07/17 06:2099+返信5件
No Name
わざわざ新婚さんに海外研修打診するなんて、遠回しに退職しろって言ってるようなもんだよね。リナもリナで無意識に辞めたいオーラ発してたんじゃないかな。退職のきっかけをくれてありがとうなのか、そんな意地悪しなくてもいいじゃない、なのか…。
2018/07/17 07:2499+返信5件
No Name
直哉は浮気中?
2018/07/17 05:2699+返信8件
もっと見る ( 102 件 )

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