SPECIAL TALK Vol.34

~最先端医療とともに既存のルールを破り続け、難病患者の希望になりたい~

2020年のニューリーダーたちに告ぐ

「物を見る」という目の機能のなかで、カメラのフィルムにもたとえられる網膜。従来、網膜は一度損傷すれば、再生は不可能とされてきた。その常識を覆しつつあるのが、網膜再生医療の最先端にいる高橋政代氏だ。

2014年、世界で初めてiPS細胞を使った臨床手術を成功させ、実用化に道筋をつけた。「家庭との両立ができそう」という理由で眼科を選んだ高橋氏が、子育てをしながらも、なぜイノベーティブな研究を続けることができたのか。

「普通の眼科医」の枠を飛び越え、世界が注目する研究者になった経緯をひもときながら、次世代のリーダーに必要な思考法を探る。

高橋政代氏 理化学研究所 多細胞システム形成研究センター 網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー

京都大学医学部卒業後、京都大学医学部附属病院での勤務を経て、米ソーク研究所に留学し、神経幹細胞と出合う。帰国後、京都大学医学部附属病院探索医療センター助教授、独立行政法人理化学研究所と所属を変えながら、医療の最先端で研究を続ける。その一方で、先端医療センター病院眼科副部長および神戸市立医療センター中央市民病院非常勤医として、眼科の現場で患者の診察も担当。

金丸:本日はお越しいただき、ありがとうございます。

高橋:こちらこそありがとうございます。

金丸:今日は『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』のイタリアンを楽しみながら高橋さんのお話を伺いたいと思います。

高橋:「丸ビルの36階にあるレストランに行く」と言ったら、周りからうらやましがられましたよ。

金丸:高橋さんはiPS細胞(人工多能性幹細胞)を用いた再生医療で、世界最先端の研究をされています。また、経済産業省が主催する新産業構造部会では、私と同じく委員を務めていらっしゃいます。

高橋:新産業構造部会は、本当に面白い会議ですよね。

金丸:高橋さんもその面白さにずいぶん貢献されていましたよ。コテコテの関西弁で、関西人ならではの発想でご意見いただいて。

高橋:そうですか(笑)。自分では標準語で話してるつもりなんですけど、「大阪弁がいいね」ってよく言われます。

金丸:出身は大阪のどちらですか?

高橋:豊中市の庄内というところです。豊中でも下町で。

金丸:私も大阪の枚方出身なんですよ。同郷として生い立ちから現在まで、赤裸々に語っていただければと。

高橋:自分の子どもの頃の話って、ものすごい恥ずかしいですね。サラッと流していただきたい。

金丸:そういうわけにはいきません(笑)。

「人と違うことをやりなさい」。母の言葉に大きな影響を受ける

金丸:さっそくですが、ご両親は何をされていたのですか?

高橋:父はごく普通のサラリーマンです。法学部を出て小さな企業で働いて。母は専業主婦でした。女学校を出て、父と結婚して、みたいな。

金丸:お母様はどんな方だったんですか?

高橋:一言でいうと、「頼りなかった」ですね。母は割とお嬢さんで、一人であまり出歩けないし、すごく頼りなくて。私は一人っ子だったので、「これは私がしっかりしな」と子どもの頃から思ってました。

金丸:その頼りなさは、実は子育てのためにお母様が戦略的に醸し出していたとか?

高橋:いや、そうじゃないんですけども。でも子どもにとっては、親がきっちりしすぎているよりもいいんじゃないかなと。

金丸:自分のことを「頼りない」と思っている女性は、これを読んだら勇気づけられますね。

高橋:ただ頼りない面がありながら、母は私に「新しいこと、人と違うことをやりなさい」ってずっと言っていたんです。

金丸:それって、当時の人としては珍しいですよね。お母様のその価値観は、どこから生まれたんでしょう?

高橋:そうですね。結構やんちゃな性格だったので、毎日家にいる自分の人生になんとなく物足りなさを感じていたのかもしれません。

金丸:そう考えると、今の高橋さんのご活躍は、お母様の影響が大きいんですね。

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