メニューによります2 Vol.1

メニューによります2:牙を剥いた独身貴族。都心を離れた話題フレンチへの逃避行

フェードアウトした男と、“兄”的な存在となった男


「ひな子と久保さんて、相変わらず、本当に仲良しよねぇ...」

『ユニオン スクエア 東京』でランチに落ち合った親友の慶子は、具がたっぷりと乗ったシェフズサラダを突きながら、呆れたように言った。


「二人の関係って、一体何なの?久保さんは、絶対まだひな子が好きだと思うわ。あの人がモテないわけないけど、意外に一途でピュアそうだもの」

確かに久保からは以前、「僕の最後の女性(ひと)になってください」と、真剣に告白を受けたことがある。

だが、当時のひな子は同い年のワリカン男・裕太に心が揺れており、返事を曖昧にしてしまった。

「しかしあの若者は、完全にフェードアウトしたわよね。香港で元気にやってるのかしら」

慶子の何気ないセリフに、ひな子の胸は思わずズキンと痛む。『81』で食事をして以来、香港へ転勤してしまった裕太は音沙汰なしだった。

そして、ひな子の儚い恋は不完全燃焼のまま幕を閉じ、慶子いわく「また自分が大好きなひな子に戻った」のだ。

「久保さんとは、そんな関係じゃないの。何か、お兄ちゃんみたいな感じだわ。年上だし、落ち着いてるし...」

一人っ子のひな子には “兄”という感覚など実は分からないが、そう表現しておくのが無難な気がした。

久保の経営するアパレル会社は、相変わらず好景気なようだ。さらに俳優顔負けの甘いマスクに独身貴族というステータスまで加わるから、女性たちからの誘いは数多にあるだろう。

だが、その立ち振る舞いは至って紳士で、自慢話を聞かされることもなければ、強引に口説かれることもない。

ひな子はその居心地の良さに、甘えきっている。たぶん、“妹”のように。



久保が指定したのは、ひな子の予想通り浅草の『Nabeno-Ism』だった。

あの『ガストロノミー ジョエル・ロブション』のエグゼクティブシェフを10年以上も務めたという渡辺雄一郎氏が2016年に浅草駒形の隅田川のほとりに築いたばかりの、超話題のフレンチレストランだ。

2016年にはレストラン・オブ・ザ・イヤーのグランプリを受賞し、2017年はミシュラン一つ星を獲得、その他にも様々な賞を受賞しており、グルメ人たちが一目置いている店である。

ひな子が普段誘いに応じるレストランはだいたいが港区や銀座が中心だから、このエリアに赴くことはほとんどない。

東京中心部からそれほど離れているわけでもないのに、この浅草付近は建物が低く、隅田川がゆったりと流れ、何となく心の緊張がほぐれるような雰囲気があった。

―これが、下町情緒って言うのかしら。

やたらと大きなスカイツリーを眺め、昔ながらの気取らない街並みの風景を観察しながら歩く。

すると、『Nabeno-Ism』のシンプルなオレンジ色の看板が目に入り、ひな子の胸は小さく高鳴る。

モダンな佇まいの一軒家レストランに入ると、かの有名な渡辺シェフ本人がフレンドリーな笑顔で迎えてくれ、興奮がさらに高まった。

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